自分の過去から現在

2021年12月22日

こんにちは。Takehiroです。
今回ブログの初投稿となりますので、自分が何故ブログを始めることにしたのか、これまでどういう経緯があったのかなどをお話ししたいと思います。

 

こんなことを話すのは自分が後々にこのブログを始めた時のことを思い出せるように記録として残しておく部分と他の人にもこの記事を読んでもらい、その時に少しでもお役に立てたらなと思い書いております。

 

高校卒業後

僕は高校を卒業した後にパチンコ屋さんで店員として働いていました。当初の僕はそこで仕事をしていた理由は、1家から近い 2お金が高い 3初めての業界での仕事 であったためです。

 

そこではいろいろな人が居て、怖い人達が働いていて、お客様も怖い人だと思っていたのですが、そんなことはなく、割と仕事自体を楽しくしていたのを覚えています。ただ、その頃は将来に関しては漠然としか考えていなく、留学をすることをずっと考えていました。ですが特にこれといったことをせず、日々をある意味思考停止のような状態で遊びに行ったり、飲みに行ったりしてました。

 

この時から仕事で難しいことや少しでも責任があることを頼まれると自信がなく、不安な気持ちでこなしていたのを覚えています。

 

そして仕事をしてから約1年半経った時に退職し、そこから2ヶ月間ゆったりと過ごし、イギリスに留学に行くために準備をし始めました。

 

 

祖母が亡くなってからの渡英

祖母が亡くなった後仕事を辞めてから3ヶ月後に上手く向こうで過ごせるのだろうかとかこっちに帰ってきてからの仕事もどうしようかとか色々考えて不安のある中での決断でした。

 

どうしても自分が行ったことのない国に行って英語を日常生活で話して日本語をほとんど使わないような生活をしてみたかったし、映画の舞台で使われているシーンが数多くあって行ってみたいと思っていた国でした。なので、何か失敗しても死ななければ大丈夫だろう。の気持ちを持っていきました。

 

イギリスでの生活

イギリスでの生活は初めてのことばかりで初めのうちは大変でした。バスの乗り方を覚えたり、ホストファミリーの家のルールを覚えたり、英語を上手く話せなかったり、自分が授業の時に全然意見を発言できなかったりと。

 

僕のホストファミリーの方達はホームステイで対応する人は僕が初めてだったらしく、とても親切に接してくれました。お風呂はいつ入っても良いし、休日には出かける時に誘ってもらって一緒に出かけたり、テレビも誰も使ってない時はネットフリックスなども見放題でしたし、いつも学校での出来事を親のように聞いてくれて、英語力が乏しくても必死に話をしようとする僕のことを理解してくれている様でした。

 

日本人の人とは一緒になるべくいないようにしようと最初から決めていたので、日本語を話すことは日常ではかなり少なく、そのおかげで英語を聞き取れる力は日々ついてきました。ただ、最初の1ヶ月近くはやはり、大変でした。自分から友達を作りに行けば良いものを変なプライドが邪魔をして相手から話しかけてもらうのを待っていました。この時は孤立していて、昼ご飯を食べるのもほぼ毎日1人で学校での参加型の飲みに行くようなイベントで皆んなで飲みに行く時くらいしかあまり話したりしていなかったです。

ある日本人と最高の友達を持ってから

毎日があっという間に過ぎていき、自分の語学力の伸びにも頭を悩ませていた時にそこの学校でかなり英語を話せる日本人の人に会います。その人とは初日から会っていたのですが、挨拶程度でしたし、その人もあまり日本語を話すことを避けていた様だったので話もしなかったです。ですが、こういうような悩みがあると話すとその人自身の悩みだったり、こういう風に英語を伸ばしてきたというようなことを話してくれました。それからは、ちょくちょく会うようになり、良き友達になりました。

 

 

台湾人の人気者が学校にいて、遅刻を平気でしてきたり、授業中にふざけたりする人が1人いました。僕が英語で言ったことが珍しかったりすると、かなり笑っていた人です。その人が後に僕の最高の友達になる人なのですが、そこまでの経緯をざっと話すと、ある日お昼ご飯を一緒に食べないかと何人か仲間がいるその人の席に招待されたので、一緒にご飯を食べました。そこで気づいたのは、外国人でも友達をたくさん持っているのは、自分からみんなに声をかけに行って話をしているからなんだと気づかされます。今考えると自分から声をかけに行ったほうが良いことはわかりますが、当時は変なプライドが邪魔をしていたのでしていませんでした。

 

 

彼とは休日もよく出かけようと連絡がきていましたが、休日は自分1人の時間を大切にしたいし、面倒だったので、いつも断っていました。でも、毎日そんなふうに連絡をしてくれたので、学校以外でも会ってみようかという気になりました。不思議ですよね。自分だけだったら毎日きっと学校だけでしか他の人と会ったりしてなかったと思います。それが誘ってくれる相手がいることで行動力が生まれる。つまり、自分1人ではできないけれど、他に自分に直接声をかけてくれている人がいることで自分は行動できる=変われると気づきました。

 

 

そしてそこから彼と行動していくうちに他の人たちとも友達になり、英語をペラペラ話せるわけではないのに皆優しく接してくれました。そして授業中にも間違えをあまり恐れずに発言するようになっていきました。これはきっとビジネスでも同じなのではないかなと今なら思います。自分ができないことを誰かの後押しがあってやってみようと思う→行動することができる→失敗しても次も行動しようと思えるという感じです。

 

 

僕は今でもこの3ヶ月間の留学生活はとても思い出に残っていますし、すごく人生の中で濃い時間を過ごしたと思っています。毎日に感謝して辛い時でも幸せだと思えたのはこの3ヶ月間以外にあまりなかったかもしれません。本当にこの3ヶ月間は関わってくれた全ての方に対して感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

帰ってきてからの就職編

日本に戻ってきてからは土木の仕事のお誘いを頂きそちらで働こうと思い就職しました。
高校卒業後にすぐに面接に行ったとことがここの会社で、手伝いとして1週間ほどいました。そして、また良ければ来てくれないかと帰国してから連絡を頂きました。

 

そこで1年間働き、ちょうどまた海外に行ってみたいと思い、辞めてからカナダに行きます。カナダには仕事をして住めれば良いなと思っていたのと、憧れていた人がいたので、その人に会いに行けたらなという思いがあって行きました。イギリスの際には留学のエージェントを使ったのですが、カナダにいく際には誰にも頼らずに自分で調べてから行きました。バックパック1つでバンクーバー、ビクトリア、ウィスラー、バンフと行きました。住む場所なんかは毎日booking.comというアプリで予約してドミトリーなどの他の人との相部屋の部屋をとっていました。その方が安かったので。

 

 

このカナダで気づいたことは、自分がしたいことがよくわからない。他の憧れている人と比べてしまって自分が本当にしたいことがよく分からなくなっている。ということでした。とりあえずカナダに来てしまったけど、やりたいと思ったことが少しでもあればやってみようと行動しましたが、1ヶ月で帰国してしまいます。

 

 

再び帰ってきてからの就職

カナダに行く前と行った後で合計で半年近く時が経っています。その後はプログラミングを少しやってみようと思い仕事探しと同時に進めていましたが、挫折し結局土木の仕事で以前にいたところに戻ることにしました。
正直、この時は仕事を早く決めたかったのがあり、自分が好きな仕事ではないけれどもいいやという気持ちでした。

 

それからは自分のためにも会社のためにもできる限りのことはやってきました。社長にもすごく良くしていただいて、徐々にできることが増えていきました。しかし、ずっと心の中では海外に住みたいと思っていたし、海外で住むために今やるべきことは本当にこの仕事なのかな?と思うことが増えていきました。自分が憧れていた人の仕事、生活スタイルなどを毎日チェックしていたので、日に日にこの生活を変えたいという思いが強くなっていきました。

 

仕事で人が何人も辞めていき、自分の仕事のできなさ、やる気の無さにも嫌になってすごくストレスが溜まっていく日々を半年近く過ごしました。そして辞めることを決意し、もう自分が本当にしたいことをする時なんだ。海外に住むためにもなりたい自分になるためにも行動するしかないと思い辞めました。

 

コロナ禍ということ+ワクチンを打ちたくないということもあり、海外に働きに行くこともできていないのが現状で、新しい仕事をするのも新しい場所に住むのもすごく不安で勇気がいるのでなかなか動けていません。

人と比べることに関してはすごく辛いです。これを自分の強みに変える方法はあるはずだと思いますが、まだ見つけられていませんが見つかり次第その答えも必ずこのブログに書きます。

ブログを始めたのは海外で生活するためにも、今後必要になってくると思ったのと何もしないで毎日を過ごすのは勿体無いと思ったことがきっかけです。これからどういうふうに変化していくことができるのかをこのブログに記録していきますので、今後ともよろしくお願いします。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

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Posted by takehiro